建築
プラハ
1620-1780
最盛期のバロックはプラハにとって明らかに多大な重要性のある様式です。最盛期のバロックのないプラハは想像できませんし、プラハなしで最盛期のバロックを想像することもできません。数々の専門書の中でも、バロック最盛期(1700年-1750年)におけるプラハの芸術の特殊性に関する記述がよく登場します。
バロック最盛期の芸術は緊張と動き、そして支配的な印象を与える、と言われます。そういった理由からこの時期の芸術様式は動的、もしくは過激的バロックといった言葉でも表されます。
バロック最盛期はプラハの最も有名な庭園が造られた時期でもあり、と同時に彫刻文化が類を見ない発展を遂げた時期でもあります。プラハでは聖人の彫刻などの作品が次々と制作さされました。その時期好まれた典型的な作品テーマは聖ヤン・ネポムツキー信仰で、ネポムツキーの巡礼の地や崇拝の儀なども発生しました。
プラハ・バロックはれっきとした一つの概念です。小地区(マラー・ストラナ)でも、旧市街でも、教会や宮殿、一般建築の外観など、いたるところでその影響を見つけることができます。バロックの建築家たちはこの街に再生不可能な様式と唯一無二の美を残し、それは世界中からの訪問者を魅了しています。
最も重要な動的バロックの建築家としてはクリシュトフ・ディエンツェンホファーとその息子キリアーン・イグナーツが挙げられます。彫刻に関しては、ブロコッフやブラウンといった家系の芸術家が活躍しました。チェコ出身の重要なバロックの画家としては、カレル・シュクレータやペトル・ブランドルなどがいます。
ところで、バロックという用語はポルトガル語やフランス語の不規則な形の真珠を意味するbarrocという言葉に由来するということをご存知でしたか?